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さようなら山の上ホテル 完結編

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結婚式のスライドショーに写っていた風景、つまり、新郎と共にした青春時代の拠点は幾つかあるが、だいたい甲州街道沿いの上北沢、桜上水あたりだ。
二十歳の頃、学生時代の私は桜上水に二年程住んでいた。私のアパートから彼の家は徒歩圏内にあった。
その辺りから、下高井戸や下北沢や渋谷に、よく行った。


後に私は、その桜上水から離れ、綱島の友人宅で約半年、次に世田谷代田に2年過ごした。
その後、地元新潟に引越して3年程過ごし、そして、その頃新潟で親交を深めたマイメン達と共に、ほとんど集団就職のような形で再度上京するという、結構ユニークな動きをみせる。

ほぼ裸で再度上京し、仕事と金と住居をみつけるまでの半年間は、谷中近辺の友人宅に世話になり、そしてまた、あの頃と同じ桜上水に、今度は一軒家を借り、彼女を地元から呼び寄せて、杉並区役所桜上水北分室に婚姻届を提出した。

二回目の桜上水での生活は、私にとっては『セカンドシーズン』のような位置づけになっている。
家の向かい側のアパートには、さらに私の妹を住まわせ、なんかよくわからないが、2度目の桜上水はリトル新潟的なコミュニティになっていった。

セカンドシーズンは5年間続いた。
今はまた新潟に戻って暮らしている。


山の上ホテルを出発した私は、新宿から小田急で下北沢を経由し、そこから井の頭線で吉祥寺方面に向かい、途中の西永福で下車し、徒歩で桜上水に向かうことにした。

まずは、下北沢だ。
新郎とは、たいして用事も無いのによく来た街だ。
一体何をしていたのか、今となってはよく思い出せない。
ただただ、タバコを吸って、コーヒーを飲んで、延々と飽きずにおしゃべりをしていた時間がほとんどだったと思う。

私はかつてこの街の写真屋さんで2年間バイトしていたこともある。
妻も、妹もこの街で働いていた事がある。
学生時代も、無一文時代も、結婚してからも、よく来た街だった。
私は下北沢を、複数の思い出レイヤーで見る事が出来た。

2014年の下北沢は変わっていた。
駅前の再開発によって、南口は改札に登る長い階段が無くなり、北口はそのものが無くなっていた。
よく来た北口の喫茶店、シャノアールも無くなっていた。開かずの踏切も無くなっていた。



かつて、ほとんど手ぶらの私に、さらに完全な手ぶらでついて上京して来た妻は、やがて東京を去るまで、ずっとこの街で働いていた。そんな妻にとっても、下北沢は特別な街だった。
この変化を見せるために、街のあちこちをスマホのカメラで撮ってリアルタイムで妻に送信した。

変わらない風景もあった。街のあちこちで、いくつもの新歓コンパ的な大学生の団体がたむろしており、いままさに2014年の青春が始まろうとしていた。
私はその青春の群れの中を、引出物の袋をバンバンぶつけながら進み、新しい下北沢を後にして井の頭線乗り場へ向かった。

井の頭線の西永福町で下車して歩いた。



住宅地を15分程歩くと、かつて住んでいた桜上水の一軒家に辿り着く。
途中に細い川が流れており、小さな橋が掛かっている。
川沿いは桜並木で、当時は毎年妻と花見に来たものだった。
その橋にさしかかると、桜並木は満開を過ぎ、ところどころ葉桜になっていた。
川面一面に花びらが散り、流れていた。
その流れに逆らうように、銀色の鯉が泳いでいた。

かつて住んだ一軒家はまだそのままの姿でそこにあり、2階の物干には他人の洗濯物が干してあった。
セカンドシーズン、この家には、私と同じタイミングで上京して来た同郷の仲間たちがよく遊びに来てくれたものだ。彼等は本格的な大人の自転車に乗って来ては家の前に自転車を止める。なんだか中学の友達がチャリで集まっているような嬉しい感覚がしたものだった。そんな風にここにチャリが並ぶ事ももう無い。
向かいのアパートの部屋には、妹はもういない。結婚して他所へ引っ越してしまった。
仲の良かった、大家さんの家の前まで来ると、以前は無かった高級車が駐車場に停まっていた。

子供たちがリコーダーで吹く「アマリリス」や「茶色の小びん」が、ややうるさかった小学校の脇を通り抜け、いっこうに上達しないウッドベース奏者が5年間懲りずに練習していた緑道を渡り、徘徊痴呆おばあちゃんを保護した路を抜け、私は甲州街道に出た。

息が切れて、足も疲れていた。
日頃の運動不足のせいだ。


一生、自分が生まれた土地で暮らす人々がいる。
私の人生は、そうでは無かったが、遅かれ早かれ、根っこを張る場所には辿り着くはずだ。
それは今暮らしている場所かもしれないし、そうじゃないかもしれない。


私は今までこう思っていた。
人生とは変化させてゆくものであり、バージョンアップさせてゆくものである、と。
そのための手段として、環境を切り替えてゆくのだ、と。
停滞するのではなく、転がってゆくのだ、と。

しかし、そうではないということを、山の上ホテルで知った。
新郎新婦の周りには、変わらにずあの頃の仲間たちが居て、あの頃と同じ場所で過ごしていた。私が知らない仲間たちも増え、賑やかに、面白おかしく生活しているようだった。
新郎新婦は、疎遠になっていた私を親友として招いてくれた。
再会した友人達も
『ちょっと太ったけど、当時とちっとも変わんないね。』
と、言ってくれた。

嬉しかった、と同時に、変わってゆこうとしてきた私は、衝撃を受けた。
『変わってない』と言われた事に対してではなく、『変わらない』という事の価値の重さにだ。

山の上ホテルをチェックアウトする前に、短い時間、新郎と話をした。
その時に彼はこんな事をいっていた。

『どう生活するかが、一番大事な事なんだよ。』


生活。


私は実家を出てから今まで、『生活』というよりは『旅』や『外出中』に近い感覚でずっと過ごして来たのかもしれないな、と、思った。いつもここは通り道で、そのうち『懐かしい道』になってゆくものだと思っていた。

生活か。

今これを書いていても、『生活』って何だろうと、考えている。

山の上ホテルで結婚式を挙げた2人は、引き続き、その『生活』を続けてゆく。
大切な人達に囲まれた、楽しい生活だ。

甲州街道沿いに歩き、ただの疲れたおじさんになった私は、モスバーガーでオレンジジュースを飲んだ。

この近所には地元新潟の後輩が住んでいる。彼も結婚をして今では妻帯者だ。
モスバーガーを出たところで彼等夫婦と会い、一緒に駅まで歩いた。

私は彼等に聞いた。
『どう?この辺、なんか変わった?』

『あ、そうっすね、あ、オリジン弁当の二階に、ガールズバーが出来ましたよ。』

『…そうか、じゃあそれ見に行こう。』










はい。よし、これでもう終わりにしよう。もう家へ帰ろう。
妻と娘がお父さんの帰りを待っている。



さようなら山の上ホテル。
さようならオリジンの上のガールズバー。


おっと、今日は娘の誕生日だった。
お土産もちゃんと買わなきゃ。






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